ことばを超えた、美しいサプライズの思い出
雑誌の編集者だった頃、海外取材で有名ブランドのメゾンを訪ね、インタビューをさせていただいた時のこと……。海外取材はハードにスケジュールを組まざるをおえず、その日は食事も十分に取れないまま、夜遅くにホテルに帰り、くたくたになりながら部屋までたどり着いた。すると、テーブルの上に美しい花束が届いている。午前中にお会いしたばかりのブランドのマネージャーからだった。今日はありがとう。素敵な時間でしたと、短いけれど、ご本人からのものであることがわかるメッセージの書かれたカードが付いている。
ブーケは柔らかなグリーンの中に薄絹で織り重ねたような淡い色の芍薬がのぞく、ナチュラルにしてこの上なく清らかなものだった。あまりの美しさに私はその場で立ち尽くしたまま、思わずぽろぽろと涙をこぼしていた。何本もの取材をキチキチに詰めたために、時間はずっと押し気味、あちこちに迷惑をかけながら、慣れない場所でアクシデントの連続。大きな失敗もあり、既に心がぽきんと折れていた。そんな中で受け取った花束は、あまりにも温かったから。血の気が引いたように冷たくなっていた頬に、体温を帯びた涙が溢れてきて、まるで誰かにハグされているような有難い温もりを感じたからである。
そうした粋なはからいは、彼らにとっては当然の流儀だったのかもしれないが、遠い国からやってきたキャリア不足の新人編集者にとっては、全く思いがけなく、砂漠で出会ったオアシスのよう。心の底から有り難かった。もっと言えば、それが極めて洗練されたブーケであったことで、一人のレディーとして認められたような気がして、なおさら心が震えた。
ギフトにはいつもサプライズがなければいけない。お中元やお歳暮など日本には社交辞令的なギフトの習慣が多いけれど、それでも多少のサプライズがなければいけないと昔マナー講座で教わった。しかしそのサプライズは、相手の立場に立たたないと演出できないサプライズであるべきで、間違っても、自分はこんなにすごいギフトができる、すごい人なのだという別の驚きを生む豪華すぎるギフトであってはいけないと。ふと、このブーケがもしもっと華美なものだったら、いささか気が引けたかもしれないけれど、この上なくナチュラルで優しい印象のブーケだったことに改めて感謝した。若い自分を、決して気後れさせないための配慮に思えたから。
そしてもう一つ感動したのは、ブーケについていた“もう1枚のカード”。それはホテルからのものだった。ブーケを花瓶に生け直しましょうか?いつでもご連絡ください、というメッセージが書かれていたのだ。そこにはホテルの客に対するもてなしの気持ちに加えて、花に対する愛情までが感じられた。その時の無力な自分を取りまいた異国の人々の様々な思いやりが一斉に集まってきて、何だかもう喜びで心がはち切れそうだった。
思いやりや優しさは、いつも言葉を超えてやってくる。メッセージカードに書かれた言葉を越えて自分の心をふわりと包み込んでくれる。こんな幸せで良いのだろうか。そう思ったらその日は寝れなかった。それでも翌日からの取材を、とても元気にやり遂げられたのは、まさにその部屋で花瓶に美しく生けられている花のおかげ、だったに違いないのだ。
この便利な世の中の文化を維持・進化させるために、
自然界に学び、共存共栄できるような暮らし方、
自然に負担を掛けない有機的なライフスタイルを提案していくという意味でのFeel Nature。
Sustainabilityとは持続可能性。つまり、環境や社会にやさしいということ。
未来もずっと、現在のような環境下で人類が地球上で生活し地球上のすべての人が
できるだけ平等に社会的恩恵を受けられることを願っています。